大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

津地方裁判所 平成9年(ワ)233号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

中村亀雄

被告

株式会社松阪鉄工所

右代表者代表取締役

安西秀一

右訴訟代理人弁護士

那須國宏

渡辺直樹

森美穂

主文

一  被告は,原告に対し,金220万円及びこれに対する平成9年9月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は,これを10分し,その1を被告の負担とし,その余を原告の負担とする。

四  この判決は,第一項に限り,仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は,原告に対し,金3321万5035円及び内金350万円に対する平成9年9月21日から,内金2971万5035円に対する平成12年3月5日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告は,作業用工具及び諸機械の製造販売等をその目的とする株式会社である。

(二) 原告は,昭和19年6月7日生まれの女性であり,昭和35年3月に被告に雇用されたものである。

2  賃金差別

(一) 原告は,被告の賃金査定の基礎となる職能等級基準において,現在4等級に位置付けられているものの,1等級に16年,2等級に11年,3等級に10年と極めて長い期間滞留させられたものである。他方,同時期入社の男性従業員は,すべて6等級又は7等級に位置付けられている。

(二) 同時に入社した従業員に対しては,合理的な理由がない限り同様の処遇がなされるべきであり,職能資格等級制度の下においても右の原則は貫かれるべきである。

(三) しかるに,原告はこれまでにその勤務態度に何ら問題はなく,能力も他の者と遜色ないどころか通常以上であるし,懲戒処分等を受けたこともない。

(四) したがって,原告が同一の等級に10年以上も滞留することはいかにも極端といわざるを得ず,被告が原告を昇級させないのは,原告が女性であることや,原告が日本共産党に所属し,労働組合の定期大会や職場集会等において労働者の立場から被告を批判する発言を積極的に行ってきたことに対する差別である。

3  差額賃金請求権

(一)(1) 職能資格等級制度導入時の昭和38年から平成11年までの36年間において,原告とその同期入社従業員との賃金の差額は,2130万円に上る。

(2) また,昭和47年から平成11年までの27年間において,原告とその同期入社従業員との賞与の差額は,721万5035円に上る。

(二) よって,原告は,被告に対し,労働契約による賃金請求権に基づき,右差額賃金及び賞与(以下「差額賃金等」という。)の支払を求める。

4  不当利得返還請求権

(一) 仮に前記賃金請求が認められないとしても,被告は前記3(一)記載の賃金相当額を不当利得しているものである。

(二) よって,原告は,被告に対し,不当利得返還請求権に基づき,右差額賃金等相当額の支払を求める。

5  不法行為に基づく損害賠償請求権

(一)(1) 前記2の差別は被告が組織的に行った会社ぐるみの不法行為であり,原告は右不法行為によって前記3(一)記載の差額賃金等相当額の損害を受けた。

(2) また,右差別によって原告が受けた精神的損害を金員に見積もると1000万円を下らない。

(3) 原告は,本件に関する弁護士費用として170万円を要した。

(二) よって,原告は,被告に対し,不法行為による損害賠償請求権に基づき,請求の趣旨記載の判決を求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  請求原因2(一)の事実のうち,原告が1等級であったのが16年間であったことは否認し,その余は認める。原告が1等級に在留したのは13年間である。

(二)  同(二)ないし(四)はいずれも否認ないし争う。

被告においては,職能資格等級制度を採用している。右制度においては,従業員各人を職務遂行能力の伸長段階に応じて適正な階級に格付けし,より効果的な能力の開発・活用を図るとともに,適正な処遇,公平な賃金決定を目指すものである。したがって,右制度の下においては,年功序列制度と異なり,人事考課によって同等の勤続年数の従業員間にあっても等級賃金額に差が出ることを当然に予定しているものである。

そして,原告は,工具の加工・組立等に従事していたところ,加工においては限られた範囲の単純な機械加工ができるが,その全部ができるわけではないし,組立においても技能・体力を要する工程は担当することができないなど,かなり経験・習熱を要する熟練業務をこなせるまでの職務遂行能力はなく,本来3等級以上の評価はできないものである(なお,原告は平成8年9月19日から施行された「下位等級長期滞留者救済規定」によって同年3月21日に遡って4等級に昇級したものである。)。

したがって,原告に対しては正当な査定がなされており,何ら差別は存しない。

3  請求原因3ないし5はいずれも否認ないし争う。

4  仮に,賃金請求権ないし不法行為に基づく損害賠償請求権が存するとしても,賃金請求権については労働基準法115条により2年,不法行為に基づく損害賠償請求権については民法724条により3年の消滅時効にそれぞれ服する。原告は訴状及び平成12年3月4日に被告に到達した書面をもって右各請求をしたものであるから,賃金請求権についてはそれより2年以前に発生したもの,不法行為に基づく損害賠償請求権についてはそれより3年以前に発生したものについては時効により消滅した。

三  消滅時効の主張に対する原告の反論

他の従業員と比較して原告の賃金額に大きな格差があることを証明する資料は全て被告の手中にあるにもかかわらず,被告は一向にこれを提出しない。それにもかかわらず,原告がようやく入手した資料を根拠に差額賃金等相当額の請求をすると,被告は消滅時効を援用するものであって,このようなやり方は著しく不当である。したがって,このような被告の消滅時効の援用権の行使は,権利の濫用というべく許されるべきではない。

理由

一  請求原因1及び同2(一)の事実(そのうち原告の1等級在留期間を除く。)は,当事者間に争いがない。

二  差別的扱いの有無について

1  差別的事実の立証

本件は,原告が人事考課において不当な差別的扱いを受けたことを理由として差額賃金等相当額の金員の支払を求める事案であるから,原告としてはその勤務成績が平均的な従業員と同様であるにもかかわらず,不当な差別的扱いを受けたことを個別的に立証する必要がある。

ところで,人事考課は,諸般の事情を総合的に評価して行われ,かつ,その性質上使用者の裁量を伴うもので,他の従業員との比較という相対評価的な側面を否定しきれないことからすれば,一従業員にすぎない原告が,人事考課の全貌を把握し,それによって自らが他の従業員と比較して「不当な差別的扱い」を受けていることを立証することはおよそ不可能というべきである。そこで,差別的扱いの有無の判断に当たっては,原告の賃金査定が同期従業員に比して著しく低いこと及び原告の言動等を使用者側が嫌忌している事実が認められれば,原告に対する差別の事実が事実上推定され,原告に対する低い人事考課をしたことについて使用者の裁量を逸脱していないとする合理的理由が認められない場合には,原告の勤務成績が平均的従業員と同様であったにもかかわらず,不当な差別的扱いを受けたと認めるのが相当である。

以下,右の観点に基づいて判断する。

2  被告の賃金体系及び原告の勤務状況等

(一)  被告の賃金体系

証拠(〈証拠・人証略〉,原告本人尋問の結果)によれば,以下の事実が認められる。

(1) 被告の社員賃金規則においては,その賃金体系は主に基準内賃金と基準外賃金に大別されている。そのうち基準内賃金は基本給,家族手当,指定外交通費,職責手当,業務主任手当に分けられ,基本給は年令(ママ)給と能力給によって構成される。年令(ママ)給は,毎年4月1日現在の満年齢を基準に被告の年令(ママ)給表によって算出するものであり,入社時から45歳までは年6100円ないし770円の幅で毎年漸増する(ただし,加齢とともに増額幅も減少し,46歳から56歳までは横這いで,57歳からは減少する。)。能力給は従業員の職務遂行能力に応じて支給するもので,職務を相対区分した職能資格等級と各職能資格等級段階毎での各人の遂行能力の習熟により位置づける号俸により構成するものとされている(以上の被告の賃金制度を以下において「職能資格等級制度」という。)。なお,右制度が採用されたのは昭和37年である。また,能力給の昇給には定期昇給,昇格昇給,ベースアップの3種類がある。このうち,定期昇給は毎年3月31日付けにて行われ,同一等級内において習熟の深まりがあったとみなし,被告の能力給定期昇給表に定められた号俸を単価として毎年5号俸昇給する。また,昇格昇給は前年のベースアップによって決定された被告の昇格昇給表に基づいて行われ,昇格昇給額を加算した能力給が昇格等級の初号俸に満たないときは初号俸の額まで調整昇給が行われることとされている。

(2) 右職能資格等級については,職能等級基準書において定められた基準によって判断される。右基準書においては最下級の1等級から最上級の7等級までの7段階に分けられる。各等級の具体的な内容については別紙職能等級基準書〈略〉記載のとおりである。

(3) 被告における人事考課は,右職能等級基準に定められた基準に合致するか否かという観点から行われ,直属の上司が第1次評価者となり,その上司,更なる上司がそれぞれ第2次評価者,第3次評価者となり,当該部門の最高責任者が最終評価者となる。そして,右最終評価者が昇格の推薦をするか否かを決定し,推薦があれば,更に昇格委員会において審査し,その推薦を受け社長決裁を経て昇格が決定するものとされている。原告の属する工具三係についてこれをみるに,第1次評価者は工具三係のサブリーダー(主任),第2次評価者は工具三係のリーダー(係長),第3次評価者は工具課のマネージャー(課長),最終評価者は工具部のマネージャー(部長)となる。

具体的な評価方法としては,昇格するに必要とされる項目が複数あり,各項目毎に伸長度に応じ3段階評価となっており,右各項目の総合評価は4段階評価になっている。

(二)  事実経緯等

証拠(〈証拠・人証略〉,原告本人尋問の結果)に弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実が認められる。

(1) 原告は,昭和19年6月7日生まれの女性であり,昭和35年3月に被告に雇用され,工員としてその業務に従事してきた。

(2) 原告は,職能資格等級制度が採用された昭和37年(入社3年目)に1等級に格付けされ,その後昭和50年3月に2等級に,昭和61年3月に3等級に昇格した。その後,原告は,10年以上にわたって昇格しなかったが,平成8年9月16日に下位等級長期滞留者救済規定が発足し,同規定の基準に合致したことから,右規定の適用によって同年3月に遡って4等級に昇格した。

なお,原告と同期入社した者は,現在全て6等級以上に位置付けられており,その中の1名であるNと原告とで,賃金には年額で96万円の開きが,賞与では約17万円の開きがある。

(3) 原告は,被告に雇用されると同時に労働組合に加入し,その後年1回の定期大会や職場集会において,労働者の立場から,被告に批判的な意見を積極的に発表してきた。

(4) 原告は昭和40年1月1日に日本共産党に入党した。

(5) 原告と同じ共産党員である者として,原告より1期先輩のHがいたが,原告及びHは,当時の工具課マネージャーに命じられて真夏の炎天下での塗装作業を行ったことがあった。これについて当時のリーダーは「えらいことをさせる。」と述べた。

(6) 被告においては昭和55年ころまで各従業員に対しその査定が記載された昇給表を交付していたところ,原告は,昭和42年ころ5段階の評価のうち最低の評価であるD評価を受けたことがあった。原告は,その理由を上司に問いただしたが,上司はその理由を述べなかった。

(7) 昭和43年ころ,職場において休憩中の原告に対し,原告の上司である職制2名が,原告に聞こえよがしに「アカはあかんぞ。アカはなあ。」などと述べ,暗に原告が日本共産党に所属することを嫌忌する発言をした。

(8) 原告は,昭和54年11月28日当時日本共産党の職員であったUと婚姻した。Uは,その後昭和58年に,日本共産党公認候補として松阪市議会議員選挙に立候補して当選し,現在も同市議会議員を務めている。

(9) 前記のとおり,原告は昭和50年に2等級に昇格して以来10年以上3等級に昇格できなかったが,昭和58年にも昇格が成らなかった際,原告に対し,上司が,自分は原告の昇格を推薦したが最終段階で落とされた旨述べ,上司としての力不足を詫びたことがあった。

(10) 平成元年度の労働組合定期大会において当時の統制委員が,「今後とも執行部に共産党が入ることは断固許してはならない。」と発言した。

(三)  原告の業務成績について

証拠(〈証拠・人証略〉,原告本人尋問の結果)によれば,以下の事実が認められる。

(1) 原告は,昭和35年の入社以来,ボルトクリッパー,パイプレンチといった被告の主要商品の部品の加工に従事し,昭和58年ころから当時新商品として生産され始めていたVA線ストリッパー(電線の皮むき)の切断刃の加工班に移り,平成8年ころ以降はエンポリカッター(塩化ビニル管やポリエチレン管の切断道具)の組立,刃の仕上研磨に従事している。

(2) 原告は,これまで勤務態度等を含め懲戒処分を受けたことはなく,日常の仕事においても注意等を受けたことはなかった。また,休暇が特に多いということもなかった。

(3) 被告においては国家資格である各種技能士を積極的に養成する方針を立てており,各種養成訓練受講,資格試験受験を奨励していたが,原告は入社以来,受講・受験しなかった。

(4) 原告は,平成4年度以来被告において行われているMCF運動(マイ・クリーン・ファクトリー運動,工場をきれいにする運動)のテーマリーダーになるよう上司から依頼されたが,これを断ったことがある。

(5) 原告は,平成11年12月28日,被告の改善活動において,工具部工具一課工具三係の一員として表彰を受けた(原告を含めて3名の連名)。その内容は,VA線ストリッパーの刃の研削盤への並べ方改善に関するものと,エンポリカッターのバネ入れ方法の改善に関するものであった。

3  検討

(一)  前記認定の事実によれば,原告が職能資格等級において4等級であるのに対し,他の同期入社の職員はいずれも6等級以上であって,その賃金等においても相当な格差があること,原告が日本共産党の党員であって労働組合の定期大会や職場集会で労働者の立場から積極的に発言をするのに対し,被告が原告の右言動を嫌忌していたことが認められる。

この点について,被告の元総務課長であった安西清祐は,その証人尋問において,原告が日本共産党員であったことを知らなかった旨証言するが,原告の夫は日本共産党所属の松阪市の市議会議員であるし,安西もそのこと自体は知っていたことを認めており(〈人証略〉),これに前記認定事実を併せ考慮するならば,被告は,原告が日本共産党員である事実を認識していたものと推認するのが相当である。

また,被告は,原告は労働組合の執行部役員を務めたこともなく,原告が労働者の立場から積極的に発言してきたのは,労働組合の定期大会でのことであって,被告には関係ない場面でのことであるから,被告が原告の発言を嫌忌する理由もない旨主張する。しかしながら,組合内での言動とはいえ,被告に対する批判的な言辞であることに変わりはないし,原告のそのような言動が他の従業員に影響を与える可能性もあることからすれば,右のような原告の言動は,被告が原告を冷遇する契機に十分なり得るものと考えられるから,被告の右主張には理由がない。

(二)  他方,原告と他の従業員との扱いの格差に合理的な理由があるかについて検討する。まず,前記認定の事実によれば,原告は少なくとも大過なくその職務を遂行していたものであると認められる。

これに対し,被告は,職能資格等級制度の下では所定の基準に達しない限り昇格できないのは当然であり,原告は5等級の基準に達しないものであるから,昇格できないのはやむを得ない旨主張し,証人安西清祐も同旨の供述をする。しかしながら,原告と被告との話合いにおいて,阪口人事課長が「36年間で3等級は人事としては問題と思う。個人的に見れば異常と思う。」と発言していることに照らしても(〈証拠略〉),被告内においては,職能資格等級制度を大前提としつつもある程度在級年数が経過した従業員については昇格させようとする意識が存することが推認でき,その限度で年功序列的な側面が全く否定されているわけではないものと認められる。また,証人安西,同三田は職能資格等級基準における評価は絶対評価であるというが,もともと右基準で定められた内容は非常に抽象的な幅のある概念が多く,画一的な基準が決まっているとはいえないのであって,評価担当者の主観的要素ないし裁量が入る余地が避けられない性質のものであるから(〈証拠略〉),それは実力主義を前提としつつも,ある程度年功序列的な配慮をする余地のあるものと推察されるところである。そして,原告の勤務状況には特段に不良な点も認められなかったのであるから,本来ならば,そのような者が同じ等級に長期間滞留しているのであれば,それを何とか昇格させようと上司が昇格に必要な点について指導・助言をするのが通常であると思われるのに,原告の上司が原告に対しそのような指導等をした形跡は認められない。なお,被告は,3等級の在籍年数が5年以上であった者の人数が相当数いたことを示す証拠として報告書(〈証拠略〉)を提出するが,右報告書は人数のみを記載したもので,そのような従業員の氏名も明らかでなく,在籍年数についても原告よりもはるかに短い者を含んでいるから,これを原告との対比資料とするには難点がある。

次に,被告は,4等級の基準に「下位等級者の指導もしくは,小さなグループを取りまとめる事が出来る能力がある」とあるとおり,4等級以上になると管理職としての色彩を帯びてくるものであるから,単に自分の仕事をこなしていれば足りるというものではない旨主張し,証人安西清祐も同旨の供述をするが(〈証拠・人証略〉),4等級はいわば管理職の入口にすぎないのであって,さほど特別な人事管理能力が要求されるものではないと認められるし,証拠(〈証拠・人証略〉)によれば,原告が後輩等に仕事面で十分にアドバイスをしたりして,それなりに人望も厚かったことが認められ,原告が管理職として不適格であったということはできないから,右主張及び供述を直ちに採用することはできない。

また,原告は技能検定を受験しておらず,このことが昇格に不利に影響したと考える余地はあるが,何らかの資格を有することが昇格の条件とされているわけでもないから(〈証拠略〉),この点が昇格を妨げる主な理由となったものとは認め難い。原告の上司であった三田譲も,その証人尋問において原告の昇格に必要な条件を問われた際明確な答えをすることができず,資格を取ることが必要であったとは述べていない。

(三)  以上の諸点を総合すれば,原告には人事査定上マイナス要因はあったのであるから,その点を勘案した上で査定がなされることは当然であるものの,人事査定に関し使用者側に広い裁量が存することを前提としても,入社して約40年が経過した現在においても原告が4等級に滞留していることについて合理的な理由は認められないものというべきであるから,被告はそもそも原告を昇格させる意思がなかったか,あっても非常に長期間同一等級に滞留させる意思であったとみざるを得ないものであって,その扱いは,原告が日本共産党員であって労働組合の定期大会などで労働者の立場から積極的に意見を述べるなど,被告にとって嫌忌すべき存在であったことを理由とした差別的扱いを含んでいたと推認するのが相当である。

4  女性差別の有無

原告は,被告が原告を昇級させないのは,原告が女性であることを理由とした差別であるとも主張する。しかしながら,本件全証拠によっても,被告において,一般的に,男性の賃金と比較して女性の賃金が低額であるという事実を認めることはできないし,証拠(原告本人尋問の結果)によれば,他の女性従業員で5等級や6等級の者が存することが認められるから,原告に対し女性であることを理由とした差別が行われているとは断定し難く,他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

三  賃金請求等について

原告は,主位的には労働契約に基づき右差別によって生じた差額賃金等の請求をするところ,差額賃金等の請求が認められるためには,その差額分についても,原告と被告との間における意思の合致がありそれに基づいて被告が支払義務を負うという関係が必要であると解されるが,職能資格等級制度を中心に据える被告の賃金体系の下にあっては,労働契約によって抽象的な賃金請求権は発生するものの,その具体的な額は被告による人事考課を待って初めて決定される関係にあるというべきであるから,原告に対する(4等級以上はもとより過去の2,3等級を遡及させる趣旨の)査定が存在しない本件においては,労働契約に基づく差額賃金等の請求権は認められない。また,被告に差額賃金等の支払義務が認められない以上,被告に利得はないというべきであるから,不当利得返還請求権も認められない。

四  不法行為に基づく損害賠償請求権について

1  一般に会社が従業員に対してどのような人事考課・賃金査定を行うかについては当該会社の業務運営上の必要性の観点から決せられるべき問題であり,基本的には当該会社の裁量に基づくものであるということができる。しかしながら,憲法14条は信条による差別を禁じ,同法19条は思想・良心の自由を侵すことを禁止しており,使用者と労働者という私人間の関係においても,右憲法の趣旨を受けて労働基準法3条が労働者に対して信条等を理由とした差別的扱いを禁じているところである。このように,労働者に対して思想信条を理由として差別的扱いをしてはならないということは,労働基準法により公序を形成しているというべきであるから,被告が,原告に対し差別意思の下に不当に低い賃金査定を行ったことは民法90条に違反するものとして違法性を帯び,不法行為を形成するというべきである。したがって,原告は,被告に対し,右不法行為によって生じた損害について損害賠償請求権を有する。

2  損害額について

(一)  財産的損害について

原告は,本件において昭和38年から平成11年までの差額賃金等を請求し,その根拠として同期入社従業員1名(N)との格差が存すると主張する。なるほど,証拠(〈証拠略〉,原告本人尋問の結果)によれば,同期入社従業員の1人であるNは現在6等級に位置付けられており,原告とNの賃金は平成11年10月時点で年額96万円(月額約8万円)の開きがあり,昭和38年から平成11年までの36年間における賃金差額の合計が約2130万円,昭和47年から平成11年までの賞与差額の合計が約721万円であることが認められる。

しかしながら,前記のとおり,被告の原告に対する不当な差別的扱いが認められるが,他面において,原告は被告の奨励する各種養成訓練や資格試験を受けず,職場の活動においてもMCF運動のテーマリーダーになることを断るなど協調的でなかった面も認められ,昇格の時期が遅れてもやむを得ない事情もあったわけである。右両者の比重を金額的な割合をもって示すのは困難である。また,実際にNが昇格昇給及び定期昇給を受けた時期や,原告がその能力に鑑みてどの時点で昇格した蓋然性があったかということは,本件全証拠に照らしても明らかでない。そして,人事考課においては使用者側の裁量は避け難いものである。以上の状況下においては,単純にNの賃金等の額と原告の賃金等の額とを比較したところで,原告が得べかりし賃金等の額を算定できるものではない。加えて,本件全証拠によってもNが平均的従業員であるとは断定できないことなどに鑑みれば,原告に対する差別がなかったならば原告がNと同額の給料を得られたと認めるには足りず,他にその財産的損害を確定するに足りる証拠はない。また,証拠(〈証拠略〉)及び弁論の全趣旨によれば,原告と同期入社の従業員はNのほかに数名いるところ,これらの従業員らはいずれも6等級以上に位置付けられていることが認められるが,それらの従業員の職務遂行能力や賃金の推移を判断する証拠はない上,原告の年齢,勤務年数からすれば,同期入社の者で既に退社した者がいる可能性も否定できないところであり,このような事情からすれば,同期入社従業員が現在いずれも6等級以上であることをもって,原告が当然に右の者らと同じ時期に同じ等級に位置付けられるべきであるということはできない。以上からすれば,本件全証拠によっても,原告が受けた処遇の中で不当な差別的扱いによって生じた賃金等の減少額を算定することはできないといわざるを得ない。したがって,原告の財産的損害を認めることはできない。ただし,後記慰謝料額の算定においては,右事情を加算的な事情の一つとして考慮することとする。

(二)  精神的損害について

前記のとおり,原告らの本訴請求のうち,差別賃金等相当分の請求にかかる部分については認められないが,被告が,原告に対し,思想信条を理由に違法な賃金査定を行っていたこと及びそれにより原告らがいずれも本来受けるべき賃金額よりも低額な賃金しか受給していなかったこと自体については少なくともこれを認めることができ,証拠(〈証拠略〉,原告本人尋問の結果)によれば,原告は右違法な査定に基づき重大な精神的苦痛を被ったことが明らかである。

そして,前記認定の査定差別の態様,右差別が長期間にわたって継続されてきたこと,本件証拠上金額は確定できないものの賃金等における格差があったことなど諸般の事情に鑑みれば,原告の請求権の一部が時効により消滅している点を考慮しても,原告の右精神的損害に対する慰謝料としては,200万円と認めるのが相当である。

(三)  弁護士費用

原告が原告訴訟代理人に本件訴えの提起及びその追行を委任したことは本件記録上明らかであり,本件訴訟の経過等を考慮すれば,本件不法行為と相当因果関係の範囲内にあると認められる弁護士費用は,右認容額の1割に相当する20万円とするのが相当である。

五  結論

以上によれば,本訴請求は,原告が220万円及びこれに対する平成9年9月21日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求めた限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないからこれを棄却し,訴訟費用の負担について民事訴訟法64条本文,61条を適用し,仮執行の宣言につき同法259条1項を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山川悦男 裁判官 後藤隆 裁判官 西村康一郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例